旅亭萬葉 金沢の表玄関 くつろぎの温泉旅館 2,000坪の敷地に全10室

旅亭萬葉のご紹介

伝統の湯、辰口温泉

辰口温泉の歴史は古く、1400年前にもさかのぼり、すでに養老年間(717~724年)には村人たちが、傷ついた馬の脚を温泉で癒した、と伝えられています。
時は移り、応永年間(1394~1428年)には、洪水で水没したため復旧の試みが幾度もなされました。
上杉謙信軍と織田信長軍が戦った「手取川の戦い」は約150年後の天正5年(1577年)にこの地で起こった出来事です。
そして江戸時代末期である天保7年(1836年)に来九村の源助が温泉を掘り当てたのです。
当時の温泉運上金(税金)の記録によると、温泉宿6軒の名前が記載されており、明治35年(1902年)頃には10軒もの温泉宿で賑わったそうです。

 

泉質はナトリウム-硫酸塩・塩化物泉で、肌がつるつるになる美人の湯としても評判です。廃泉の危機を乗り越え、今もこんこんと湧き出るなめらかな肌触りの湯が、心地よく体に染み渡り日頃の疲れを癒してくれます。

伝統の湯、辰口温泉。
雄大な大自然に囲まれた景観とともに、心ゆくまでご堪能ください。

明治の文豪・泉鏡花が愛した古湯

小松市の北西、加賀平野を見渡す丘陵地にある“古都金沢の奥座敷”。明治の文豪・泉鏡花の郷土として知られ、『海の鳴るとき』にも登場。幼くして母を亡くした鏡花は辰口に住む叔母に引き取られ、18歳の時に読んだ尾崎紅葉の『夏痩せ』に影響を受け作家を目指したと言われています。まさに“泉鏡花誕生の地”と言っていいでしょう。また、周辺には、源平の戦いを描いた『源平盛衰記』に出てくる「根上の松」や、歌舞伎『勧進帳』の名場面の一つ「弁慶謝罪の地」、“福を集める寺”と言われる「集福寺」などの名所旧跡や古刹も多くあります。1,000年以上の歴史を刻んだ街を散策し、鏡花も足しげく通った古湯で疲れを癒せば、いつしか小説の中の世界に迷い込み、旅情がより一層豊かになります。

 

旅亭 萬葉 その名に込めたこだわり~犬養孝先生揮毫による萬葉歌碑とともに

我が国最古の歌集とされる万葉集。同書の研究家として、“歩く萬葉学者”“大養萬葉”の名で親しまれた故・犬養孝氏が揮毫した、由緒ある萬葉歌碑が2000坪の大庭園に3基あり、守り続けています。霊峰白山を仰ぐ山影に湧き出る名泉を湛えて1400年余、古都金沢の奥座敷、北陸の名湯辰口温泉に文政2年(1819)創業した老舗旅館《たがわ 龍泉閣》の別館です。

 

栲衾白山風の 寝なへども 子ろがおそきの あろこそ良しも
(巻14-3509:作者未詳)

とぶさ立て 舟木伐るといふ 能登の島山
今日見れば 木立繁しも 幾代神びぞ
(巻17-4026:大伴家持)

鹿島嶺の 机の島の 小螺を
い拾ひ持ち来て 石以ち
つつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に
こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて
母に奉りつや めづ児の刀自
父に献りつや みめ児の刀自
(巻16-3880:能登国歌)

二千坪の敷地に全十室 ひっそりとたたずむ 大人の隠れ家

旅亭萬葉が誇りたいものはいっぱいあります。ロビーから一望できる枯山水がその一つですし、その庭の真ん中に佇んでいる歌碑もまたその一つです。

 

 

しっとりと 此処にあるのは 心にしみる 小粋なしつらい

ひとつとして、同じ部屋はありません。ひとあし踏み入れた瞬間に、それぞれの部屋が迎えてくれる、それぞれのしつらい・・・。そんな小粋さはもちろん、窓が映す四季の趣もまた、それぞれに広がり楽しませてくれます。

 

 

ゆったりと 此処にあるのは とっておきの ぬくもり

金沢の奥座敷として、古くより親しまれてきた辰口温泉の奥ゆかしさに露天の風情も相まって・・・。
肌で感じる温もりがあるのはもちろんですが、目に触れる温もりをも、たっぷりとお楽しみいただきます。

 

 

旬を映し 此処にあるのは 器にたたずむ 季のこころ

金沢の奥座敷として、古くより親しまれてきた辰口温泉の奥ゆかしさに露天の風情も相まって・・・。
肌で感じる温もりがあるのはもちろんですが、目に触れる温もりをも、たっぷりとお楽しみいただきます。